幸せの黄色いホーン 98話 VOTT(2)

VOTTの誕生に関しては、初期型と後期型の18W8があったため、技術的な下地は十分にあったと思います。そして、ALTEC社は、シァラーホーンシステムで成功し、業界で有名になったランシング氏を高く評価し、VOTTの開発を任せます。しかし、そうなるとWE社の立場をどう考えればいいのでしょうか?

1937年、集中排除法の適用によりWE社が映画館への供給を停止することになり、WE社の音響機器のメンテナンス業務を行っていたエレクトリカル リサーチ プロダクツ社(E.R.P.I.)のシアター部門が買収されてALL Technical Products社が設立され、これがアルテックサービス社になるそうです。1937年はランシング氏がアイコニックを開発した年です。

アルテックサービス社が設立された段階では、同社はWE社のシアター用音響機器の所有権とメンテナンス業務を行う権利を取得するに留まり、WE社の製品を製造する権利までは取得していなかったそうです。この製造権を同社が無償で取得するのは、ランシングマニュファクチャリング社と合併した1941年になってから。そして、ランシングマニュファクチャリング社と合併すると、ALTEC社(正確にはAltec Lansing社)はランシングマニュファクチャリング社の工場を使用してスピーカーユニットやスピーカーシステムの製造ができる状態になりました。ALTEC社は、1937年から1941年までの約5年間、WE社の在庫部品で同社製品のメンテナンス業務を行っていただけでした。

ALTEC社は、ランシングマニュファクチャリング社を買収することによって本格的な音響機器メーカーを目指すことになります。しかし、そこには2つの選択肢があったはず。一つはWE社製品の無償の製造権を生かし、WE社のシネマスピーカーシステムを製造するという道。WE社は、1936年にTA−4181A(18インチウーファーユニット)と594(4インチダイアフラムドライバー)を有するミラフォニックシステムを発表しています。もう一つの選択肢は、ランシング氏に新製品を開発してもらうこと。

もし、ALTEC社がWE社製品に魅力を感じていたならば、ランシング氏にWE社製品の製造を命ずることはできたはずです。ランシング氏がALTEC社に入ってから行った主な仕事は、Duplex(604シリーズ)の開発、励磁型ユニット(15XSや285)をアルニコ型ユニット(515や288)に更新すること、そして、新しいシネマスピーカーシステムであるVOTTの開発でした。ほとんどが新製品であることからランシングマニュファクチャリング社の既存の金型を生かすためにランシング氏の製品を採用した訳でもなさそうです。要するに、WE社製品や同製品をベースにした新製品を開発する余地は十分にあったのではないかと。

ALTEC社はWE社の製品のメンテナンスを行っていたため、誰よりもWE社の製品の音を理解しているのに、あまり高く評価していなかったのではないでしょうか。そして、WE社の製品よりもランシング氏の開発能力や彼の製品の音の素晴らしさに魅せられていたと考えています。もちろん真相は闇の中。WE社とALTEC社の関係はランシングヘリテッジの継続調査項目の一つであり、両社の関係には謎が残ったままです。なお、8インチフルレンジの755Aの生産を承継するのは1949年以降の話です。


初期のA1

VOTTの開発は、ランシング氏とジョン・ヒリヤード氏が一緒に行ったそうです。ランシング氏とヒリヤード氏は、シァラーホーンシステムも一緒に開発しています。ヒリヤード氏は、ブラックバーン博士をランシング氏に紹介したり、ケネス デッカー氏の墜落事故死によりランシングマニュファクチャリング社が窮状に陥ったときにもALTEC社との交渉を勧めたりしたそうですから、ランシング氏と仲が良かったのでしょう。また、そのときにALTEC社に新型シネマスピーカーシステムの開発をランシング氏に任せるように提言したのかもしれません。なお、ヒリヤード氏は1942年ごろにレーダーの開発にかかわっていたそうなので、VOTTのストレートホーン+バスレフ構成はランシング氏の発案だと思います。また、ランシングマニュファクチャリング社のパンフレットを見ていると”The Voice of All Radios”というキャッチフレーズが掲載されています。”Voice of the Theatre”の名付け親もランシング氏だろうと思います。なお、”Theatre”の綴りは”Theater”が正式な綴りですが、北米の映画館ではフランス語風の”Theatre”をおそらくは洒落たつもりで?使用しています。

ランシング氏とヒリヤード氏によるVOTTは、シァラーホーンシステムのユニット構成を引き継ぎ、箱の形式を一新したフルモデルチェンジ版だったと言えそうです。そして、VOTTがシァラーホーンシステムと大きく異なるのが、A7というスモールフォーマットの系列を有している点です。なお、A7のルーツは初期のA5とされていますが、しかし、このA5の箱(110)は奇妙です。スロート面積がウーファーの振動板面積よりも非常に大きく、あまりにも過負荷だと思います。210のホーン部を横倒しにしユニットも1つにしてA4の廉価版を作りましたというような印象。


初期のA5

A7の直接の前身である800システムは、ランシング氏が退社した翌年、1947年に発表されます。800システムのパンフレットによると、箱が810、ホーンがH−808、ドライバーが802、ネットワークがN−800Dであり、すべて800Hzクロスを意味する800番台の製品番号が使用されています。このような製品番号のつけ方もランシングマニュファクチャリング社のやり方を引き継いでいます。


800システム

こうしてVOTTの誕生について調べてみると、当時のALTEC社の幹部は、WE社ではなくランシング氏の才能に同社の未来を託したのだと思います。WE社の承継者がALTEC社、という見解は歴史の検証が足りないのではないかという気がしています。さらに、ALTEC社対JBL社という図式も?です。むしろ、ランシング氏のVOTTという物質的な遺産を引き継いだ者と、ランシング氏の精神的な遺産を引き継いだ者とが競い合ったと、そんな風に考えています。

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